保科アカデミー21定演・聴く人 それぞれの想い(2)
保科アカデミー室内管弦楽団”アンサンブル-ハルモニア”21回定期演奏会。
保科洋/「管弦楽のための変奏曲」より終曲「mesto」が演奏されました。
(開演前 指揮者とコンマスお二人による楽曲解説)
指揮者 秋山さんのプログラム挨拶によれば、個人的に恩師への”追悼”の意があると、お断りがありました。しかし今回は、その”意”を分かち合わいたい人が、”それぞれの想い(1)の新保さんだけでなく、かなり居たのでは
冒頭の保科作品は、結果的に親友「兼田敏」さんへの意図せざる追悼曲。秋山指揮の演奏聴いてるうち、いつしか情景が”保科指揮・岐阜市ホール”に入れ替わっていました。たしか2002年のこと、作曲家・兼田敏さんの”音楽葬”が実行委員長・保科指揮、岐阜大学オーケストラプラス有志音楽家により執り行われた場面です。盛大かつ哀しみに満ちた音楽葬でした。
その折ホールに流れた 兼田さんのことば「生きてるって こんなにうれしいことなんだ」(最初の手術が終わって)。兼田さん、当時の賀状の一筆「これが ほんとのイガン退職」(病を得て岐阜大学を定年前に退官 清い)。
兼田さんとは、ヤマハバンドディレクターズ養成所 の指導教官リーダー時代にご一緒しました(この頃保科さんを知る)。卒業演奏で(30名)西日本を4泊5日ツアーした時のこと。行く先々の会場の変更(廃館した体育館!講堂のはずが音楽室、市民ホールが突然公民館に・・福山・姫路最低、岡山・大阪酷かった)。コンサートが現地では突然 管楽器クリニックに・・(吹奏楽が盛んだった西日本、ヤマハが偉そうに指導者を育てるって?トンデモナイ風潮が現場リーダー層に強かった)。一方で兼田さんの意外な我慢強さを知ることにも。
怒りの向こうで兼田さんは「俺は賽ノ河原でもやるゾ!」。客のいない会場であっても、予定したプログラム全曲全会場で完奏、「生徒にとって 辛い思いは将来の糧になる」。あまりに酷かったツアー、大阪での最終日「なあN君、この5日で俺たち ほんとの仲間になれたよな」(今日もその時を思い出しながら聴きましたよ)。そのこともあって(その前からも)兼田さん、人間的にほんとうに尊敬できるお方でした(合掌)。
その後の兼田さんの活躍、公教育の場だけでなく作曲家として膨大な作品を残しつつ、”日本バンド指導者クリニック”を立上げ、全国の指導者育成に尽力し、保科洋さんと両輪で「日本の吹奏楽」を隆盛たらしめたことは、 どなたもご存じの通りです。
(終演直後のロビー 指揮者秋山さんがお客様ご挨拶に出ておられました!)
この日の「mesto」を聴きながら、つい想いにふけるうち 気づいたらコンサートも終演。で 有森さんも、くるみ割り人形も聴き逃した感じ、すみません。
でもこの音楽会、いい想いを残してくれます。秋山さん、保科アカデミー室内管弦楽団のみなさん、ありがとう。(HN)